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豆腐LINK集

起源説はいくつかあり定かではない。紀元前2世紀前漢時代の淮南王(わいなんおう)・劉安(りゅうあん)にちなむ中国伝来の食品であるという説[1]がある。しかし、前漢に原料の大豆はなかったとも言われる。[誰?]日本へは奈良時代に遣唐使によって伝えられたともされるが、それ以前に伝わっていた可能性も大きい。「腐」の字は本来『納屋の中で肉を熟成させる』という字義から転じて、柔らかく弾力性があるものを意味するものであったが(納豆の名称由来も参照のこと)、日本では食品に「腐る」という字を用いることを嫌って、豆富や豆冨などと記すこともある(日本の豆腐は発酵していない。すなわち腐っていない。中国には豆腐を発酵させた食品もある)。豆腐を好んだ作家泉鏡花は、極端な潔癖症でもあったことから豆府と表記した。味噌汁や粕汁や鍋料理の具材などとして、日本では非常に一般的な食品である。

まず、水につけて柔らかくした大豆を水とともに摩砕し煮出すことが必要となる。水とともに摩砕した大豆を呉(ご)という(加熱する前の呉を生呉、加熱した後の呉を煮呉という)。呉をしぼって得られる液体が豆乳であるが、豆乳を作る際、予め加熱して煮呉を漉す製法を「煮しぼり」、生呉のまま漉す製法を「生しぼり」という(この場合には漉した後に煮詰めることになる)。しぼった後の滓はおからと呼ばれる。この豆乳がまだ熱いうちににがり(凝固剤)を加えると蛋白分子が後述するように網目状に繋がり、豆乳はプリン状に固まる。これを切り分け水にさらした物が絹ごし豆腐と呼ばれ、水にさらさず直接容器に掬い上げた物が寄せ豆腐と呼ばれる。また、固まった豆乳を崩しながら、内側に布を敷いた型に入れ、水分を抜くと木綿豆腐となる。さらに、工業的な製法として、豆乳を一旦冷やし、凝固剤といっしょにプラスチック容器に流し込んでから加熱して固める充填豆腐もある。充填豆腐は保存性に優れ、ものによっては一か月保存できるものもある。

江戸時代には、落語の題材になったり、また『豆腐百珍』のような料理本まで出るほど、広く庶民の食べ物となっていた豆腐は、比較的加工の度合いも低く、経験さえつめば誰にでも容易に製造できたため、大正から戦前にかけては、一つの町内に一軒ずつ製造業者が存在するほどであった。辺鄙な田舎であることを表すのに「酒屋へ三里豆腐屋へ二里」という俚諺もある。また、味噌などと同様に、各集落で共同で作られることもしばしばあった。まず原料の大豆を、一夜(12時間ほど)真水に漬けておく。翌朝、十分に漬けあがった大豆を適度に水を加えながら石臼でクリーム状に磨り潰す、このクリーム状に磨り潰された大豆のことを「呉」と呼ぶ。次に呉をお釜に移し、適度に水を加えて濃度を調整し薪にて炊き上げる。この時、呉はサポニンの作用で激しく泡立つため、消泡剤として食用油に石灰を加えたものを適度に振りかける。十分に炊き上がった呉を、布で濾して豆乳を木桶に取る。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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